-過去と未来をつなぐ橋-
箔烏(はくう)型巡洋戦艦とは、次伊亜連合帝国が建造した巡洋戦艦。第六次海軍補充計画によって建造された。鳥(とり)ではなく烏(カラス)。
建造経緯
19xx年令唖戦争が勃発した。軍部は平和宣言通り参戦は行わない方針を示していたが、19xx年x月の会談で参戦を承認。軍部は空母4隻駆逐艦12隻の建造計画を提出した。これに政府は空母ではなく戦艦を建造するべきとし対立した。最終的にそれぞれ2隻ずつ建造することで双方同意した。
当初は飛立型戦艦と同等の艦にする予定であったが、建造期間と資金から変更され小型戦艦を建造する方針に決定した。
最終的に全長249br(水線長242br)全幅27brと雲雀型戦艦に近いものとなった。それでも他国の一世代前の戦艦と同程度の火力を有しており、速力も戦艦としては高速であった。しかし装甲は頼りなくどちらかといえば大型巡洋艦のような性能をしていた。想定された任務も大型巡洋艦で代用可能であり、またそのような任務である場合主砲および装甲は過剰であった。
揚陸艦や輸送艦の建造に注力するため建造は延期され、竣工は戦後となった。
艦影
安定性を重視した戦艦方式の船体設計ではなく、高速性を重視した巡洋艦式の船体設計が採用された。防御方式はこれまで採用してきた集中防御ではなく、全体防御方式が採用された。これは戦艦よりも巡洋艦との戦闘が想定されたためである。
速力は33ktと当時の戦艦の中で高速であった。一方で旋回半径は大きさの割に広く、復元性、安定性は悪くあった。また旋回時の振動も報告されており居住性は劣悪であった。
艦橋はこれまでの戦艦で採用された塔型を採用し、重心を下げるため6階層となった。飛立型戦艦の艦橋設計を流用する予定であったが、主砲に干渉するため艦橋基部が削られた。その結果、操舵室が飛び出す形となり竣工時にはこぶ艦橋などと揶揄された。
兵装
主砲として42㎝連装砲を4基背負い式に搭載した。対外的には38㎝連装砲とされており、性能はおおむね飛立型戦艦に搭載された一式40cm三連装砲と同等であった。実用射程は艦橋小型化の影響で35kmと狭くなり、振動の影響で精度は劣悪であった。
副砲として搭載された12㎝連装砲は戦艦雲雀や卯波型に採用された主砲の改良型で、対空射撃が可能とされた。しかしこの砲とほぼ同じ砲を搭載した望月型の乗組員から対空砲としてはほぼ使えないほど能力が低いと不満が出ており、後に10㎝砲に換装されている。
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