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翠風型航空母艦

翠風型航空母艦とは、セカンド帝国が建造した航空母艦。第二次海軍補充計画​によって計画建造された。

概要

​帝国海軍司令部は第一次南方沖海戦で空母の能力を確信し、雷鷹型の発展型の建造を政府に対し要求した。海軍司令部の要求では搭載数70機対空砲左舷6門右舷4門速力33ktであった。これに対し政府は対空砲だけではなく対艦用の砲も搭載するべきと反対し意見が割れた。最終的に搭載数60機10㎝両用砲片舷6門速力33ktに決定した。一番艦翠風はグエムニム島1番ドックで、蒼風はイデ島5番ドックにて起工した。 竣工当初世界最大の空母であり、本型が所属している第一航空戦隊は世界で一番航空機運用能力の高い部隊と評価されていた。 ​名前は翠風、蒼風ともに短歌からとられている。(詳細)

​船体

​雲雀型の船体を参考に新規設計した。艦三式B型ボイラーを8基搭載する予定であったが開発が一番艦の竣工に間に合わず翠風は艦三式ボイラーを10基搭載した。最大戦速は双方29ktであったが翠風はあまり燃費が良くなかった。改装後は艦三式Bボイラー8基に換装され32ktになった。​ 搭載数は対外的には50機としていたが実際は60機程度搭載しており、小型機のみであれば最大75機搭載可能であった。

​兵装

​竣工時

翠風は片舷に指向できる砲を増やすために10㎝両用砲をすべて飛行甲板上に配置し射界を確保した。しかし指揮系統が複雑になること、発着艦の邪魔になること、また誤射の可能性があることから二番艦の蒼風では採用されなかった。 高角砲、艦橋の位置から翠風への着艦は次国海軍の空母の中で一番難関と評価され、緑の風の鳥殺しと謡われた。 前型にあった左舷専用の射撃指揮所は甲板上に高角砲が設置されたため廃止された。その分艦橋は三階建てとなり一階層増えた。煙突は艦橋と統合された。

​第一次改装後

​19xx年大型艦載機の搭載案がでたため翠風は甲板上の両用砲(4.5.6番砲塔)をすべて甲板下に移動した。 また排気の影響を避けるため煙突は傾斜煙突となり、艦橋下の通路には排煙除けが取り付けられた。

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